科学する鯖虎

本を読んだり、手を動かしたり、テクノロジ発動したりで、ずっと眠い。

人生エロエロ

僕は何かを書きたい。

でも、書くものもないから、思いついたものをそのまま書く。

最近は自転車を組んでいた。コンポーネントを最小単位まで分解して、洗った。磨きすぎて、塗装が剥げたりもした。

外し方がわからなくて、ネジをなめさせてしまった。

余計なことをした。でもコンポは綺麗になった。自己満足だ。

 

組みあがった自転車はとても綺麗だ。チェーンを触っても黒くならない。

調子に乗って乗っていると、すぐに汚れる。余計な潤滑油が地面の泥を保持し、

すぐに真っ黒になる。洗う。チェーンなり駆動部が削れていく。

神経質も神経質で考えものだ。なにごともやりすぎはよくない。なにしろ、洗っているそばからキリがないなと感じた。

続けたいなら、無理なく、それでも細々とでも辞めないことが大事だなと思う。

思いっきりやっているときはいいけれど、いざ一息つくと、やりたくなくなってしまう。

ロードバイクを一台仕上げてから、マウンテンバイクをバラバラにして、そのままにしている。自転車の旧車をレストアするムック本を父から借りたが、ちょっと写真を斜め読みするだけで、他のことに気が逸れている。

 

職場の同い年の後輩女性。誰にでもねぎらい、自信なさげで控えめな彼女。

僕が勝手にポーッとして淡い期待を持ってしまっている。

自分の楽しみとはなんだろう。他人の力になりたい、人と一緒になりたい。

それらを振り払って、いまやるべきこと、と思ってやってきたけど、すべて脇見で中途半端だった。高3のころからずーっと。

いまやるべきことってなんだろう。この胸の高鳴りを最優先することなのだろうか。

所詮、人と一緒になったところで、独りは独り。自分のことは自分でやらなくてはならない。劇的に変わることもない。

 

どうなんだろうか。ただ、とりあえず、僕の心がこんがらがっているのは確かだ。ずっとそうだ、孤独に襲われ、片思いに焦がれ、性欲に支配され、いつだって、集中できた試しがなかった。

これは飽くなき欲望か?そんなことはないような気がする。

ただ、一旦横に置けないならば、置けないで、そのまま歩くしかない。

資格勉強もほっぽって、仕事の報告もずるずると先延ばし。

失望させてしまっているのはわかっている。僕は少しずつ、いままで積み重ねてきたものを捨てている。

そこに残るものはなんだ。仕事よりも色情に奔走し、それでも何も得られなかった哀れな肉の塊。

仕事でなにかを残したいわけではない。ただ、それを口にするのは言い訳で格好悪い。やるといったことはやらなくてはいけない。

 

結局僕は、いかにいまやるべきことだけをやれるか。それが一日の最後に振り返ってよく寝るための、僕自身に課す評価基準だ。

いずれ全部やってやる。だから待っておれ。その未来に寄り添う、愛する人がいるから。待っておれ。そつなくなんか、こなすなよー。

濡れそぼつ蛙

一刻、雨は止んだが、湿り気の多い夜のこと。

水溜りが点在する車道の端を自転車で走っていたら、道路の真ん中に蛙を見つけた。

すでに車に轢かれてしまったようで、内臓なのか、赤い体液を口から噴射して撒き散らした跡が見て取れる。身体は思いのほかペチャンコにはなっていなくて、胴体は浅い呼吸を繰り返すように上下し、手足は痙攣していた。

片側一方通行の道路だが、路上駐車が多かった。それらを避けるために膨らむ軌道上にちょうど彼がいたのだ。そこにいる彼が不運というほかになく、雨上がりによくみる光景として、普段ならばなんら気に留めることはなかっただろう。

僕も最初は素通りした。ただ、足をばたつかせ藻掻き苦しむ蛙の姿がしばらく頭から離れなかった。

直線道路の少し先で一台、軽トラックとすれ違ったので、今ごろは藻掻くこともできなくなっているはずだ。どの道さっきの時点でさえ救うことはできなかったが、死体が轢き続けられているのを放っておくのは慈悲がない気がしたので、とりあえず折り返すことにした。

 

近くで見ると、まだ少しだけ脚は動いていた。素手で触るのもなんか嫌だったので、近くの植樹帯で白くて鮮やかな花の葉っぱをちぎった。これも同じ命なのにな、と思うと申し訳なくなった。

その間にもう一台が通り過ぎて、今度は完全に動かなくなった。もし痛みを感じていたのならば、その苦痛が短くなるように、とどめを刺してもらってよかったのだろうか。

遅くなったことを詫びつつ、だらしなく伸びた脚を葉っぱ越しに掴んで、先ほどの花の傍まで運んでやった。しばし合掌。

 

普段から、極力蛙は触りたくない。ただ、どういう風の吹きまわしか触ってしまったので、手を洗うために近くの公衆便所に寄った。

酷いアンモニア臭が鼻をつく空間で、息を止めて手を洗う。夥しい数のコバエが小便器を覆うようにへばりついている。彼らにはこの臭いが、堪らなく嬉しいのか。

世界は、命は、循環することで繋がっているのか。僕も彼らとはお互いに、生かしているし、生かされあっている関係なのか。

湿り気の多い夜のこと。その帰りは静かな小雨に打たれた。

ニヒルなアヒル

議論?を目にする機会は増えたが、

文章を最後まで読めていない人が多い。

また、主張ばかりで会話になっていないな、と感じる。

わざとやってるのかと疑うレベル。

そういった人たちの心理を理解できないだけ、僕もまだまだだと思う。

 

こんなことを書くと、じゃあお前はどうなんだと突っかかってくる。

言わずとも、そういった感情が芽生える。そんな人は、大抵冷静さに欠けている。

感情が優先して、情報(コンテンツ)を捉えられていない。

 

日本人の3分の1は日本語が読めないらしい。なるほど。

僕も、ちゃんとじっくり目で追わないと、立ち止まってから何度も読み返さないと、

文章の中身が入ってこない。速読なんて、もってのほか。

それだけで疲れる。読めていないわけではないと思うが、決して笑えた立場ではない。

 

だいたいは、自分のことをいくらか頭が良いと思っている。

謙遜はするものの、中の上ぐらいじゃないかと本気で信じている。

だからこそ、自分の主張を正しいと疑わない。

 

基本的に、賛成か反対かの二極で片づけられる議論はないような気がしている。

身近で内輪な話であればまだしも、政治や経済に関してはあり得ないだろう。

ある瞬間を切り取れば、6:4で片方に偏ることはあるかな、それぐらい。

 

あとは、感情を煽るような喧伝も基本的には信用しないほうがいい。

これは文章を最後まで読めないような、読解力がない人を対象とした戦略だ。

 

SNSは馬鹿博覧会だと思って、参加しない、間に受けないのが吉。

揺るぎない主張があるのならばどうぞご勝手に。

 

サバトラを科学する。

 

サバトラとは、猫を柄で分類した呼称のひとつ。キジトラと洋猫の交配により誕生。日本での個体数はキジトラの方が圧倒的に多く、割とお目にかかれないレア柄である。シルバーグレーに黒い縞模様がオシャレでお上品な印象を与えるためか、性格は警戒心が強めで臆病、あるいは人懐っこく、キジトラよりは穏やかだと言われている。

 

なぜこのブログタイトルが「科学するサバトラ」なのか。なぜ、キジトラでもチャトラでもないのか。

 

語順もちょっと曖昧だ。

サバトラを誰かかが科学するのか、サバトラが何か対象物を科学しているのか。

 

なぜカタカナではなく、見慣れない漢字なのか。

 

その理由はいずれ分かるかもしれないし、分らないかもしれない。そもそも理由なんてないのかもしれない。

大体のものには理由がある。だが、それに慣れて凝り固まってはいないだろうか。理由を深く求めすぎても疲れるだけである。

 

科学と猫は嘘をつかないが、人間は嘘をつく。

しかしながら、猫を被る、猫ばば、猫だまし…猫への「嘘」にまつわる悪評は絶えない。

誰が事実を捻じ曲げるのだろう。猫のように本音で生きて、なにが悪いのだろう。

そんなシガラミにはめっぽう疲れた。君もそう思わないだろうか。

 

今日も今日とて、科学するサバトラ。